「遠い誰か、ことのありか」アーティストトーク
美術手帖2021年2月号
ニューカマー・アーティスト100 推薦文掲載
宮井和美
[総評] 第8回札幌500m美術館賞
服部 浩之
[総評] 第8回札幌500m美術館賞
吉崎 元章
栗原 啓輔
消失栗原 啓輔
過去、現実に存在していたものを紙で再現することにより鑑賞者にイメージを想起させる。
この作品からは実体と模倣体を見た際得られるイメージに「視覚的重さ」がどのように関わってくるかを考察することができる。
同じ現実に存在するものでも、機能を持った実体と、実体を模倣した機能を持たない模倣体がそれぞれひとにどのようなイメージを想起させるのか。ここでイメージを想起させるふたつのものの特徴的な差異として「視覚的重さ」を取り上げる。実体の重さは機能を満たす際に必要な要件となる強度に関わってくる。重さとは重量なので視覚のみで実感することはできないがアフォーダンスにより例えば同じ木目でも木材なのか化粧合板なのか違いを視覚で判別できそれは強度にも及ぶ。その判別は経験なくして獲得することはできず、様々なものを見て触り重さを感じることで視覚的特徴と重量との関係を身に着け判別の精度を上げていく。
表面の微妙な差異を判別することは物質が持つ重量にも判別が及ぶことであり、また強度についても同様である。すると結果的にその対象が意味機能を持ったものなのかそれを持たない模倣体なのか総合的判断に至ることになる。意味機能を持ったものであった場合、そのものを使うことを想定して無意識に身体が身構える。身構えとは例えば過去の経験によりそのものを使う場合に必要なまたぐ、持つ、かがむなどこれから起こるであろう出来事に備えるために無意識に発動される身体の予備動作のことだ。人間はものを使うときにいちいち手順を考えずに無意識に使えるようになるが、初めてものを使うときと使い慣れたときとで差異が生まれるのはこのためである。
意味機能を持った実体を目にすればこのように身体が身構えを発動しこれから起こるであろう現実に供え準備態勢に入るが、模倣体であった場合、一瞬実体かと思うがすぐに模倣体とわかり身構えは発動を寸止めされる。過去に存在していたものを模倣体として眼前に提示された場合、それから感じるイメージには現在と過去という時差、実体と模倣体という機能の有無などの複数の要因から生まれる違和感があるが、その違和感のひとつとして本来生じるはずであった身構えの喪失が挙げられる。
つまり失われた実体を模倣体として眼前に提示された場合、模倣体が過去の記憶の中の実体をもとに現実に近いイメージをつくりあげるがそれはあくまで模倣体でしかないため追認にはならない。さらにその重量感のなさが身体の身構えを喪失させ身体感覚をともなわないイメージでしかないことを強調させる。そして機能を持っていた実体は身構えという身体感覚を発動させるがそれはすでに過去のものになっているため、機能を持たない模倣体から発動される身構えはアフォーダンスによってすぐに幻として消え去るがそれは記憶による錯覚から生まれたものである。過去の記憶という実体を持たないものを根拠として現実の模倣体による身体感覚の幻が生まれる。
過去に実在していた実体の記憶が模倣体によって呼び覚まされ、さらに模倣体は過去に存在していた実体によって成立するため過去に拠るという相互包摂の関係にある。実体と模倣体のふたつは記憶だけでなく身構えという身体感覚を媒体に接続されるが、同一のものではなく素材の異なるものであるため模倣体は実体の機能を有していないことが視覚情報から得られ身構えは現れると同時に消失する。その身構えの消失感覚は一度消失した記憶の身体感覚を伴った追体験といえる。
栗原 啓輔
1978年茨城県石岡市生まれ。スケートボード研究者( 在野・歴20 年) スケートボードは、求めるものがない環境の中で子供のごっこ遊びのように「ものの抽象化」を中心に発展していった。その発展には常に日常生活の中で現れる身体の記憶の再認があり、それは志向的構造によって支えらえれている。哲学、文化人類学、心理学等を援用し研究。( 写真家) レディメイド・エンタテインメントフライヤー